「なんでも話せ」

と言われて、なんでも話したことがほぼ無い。

自分の表現や考えは、相手の優先権次第で、なんでも話せるものではなく、むしろ常に発信されているようなモノの「つもり」だからか。

しかしそれは、やっぱり思い込みだった。傲慢ともいう。

伝わることと、伝えることは次元が違う。

伝えるということは、自分が思っている以上に難しい。

伝わらないことを、誰かのせいにしてしまうのは、文章表現の頂を目指すものとしては、味気ない。

文章の表現技法にはさまざまある。

リズム、接続詞の吟味、カットイン、ワカモノ言葉、オノマトペ、シズル表現、現代語尾、炎上回避モデル、普遍性の最大化、擬人化、体言止め、動名詞活用、短文のインパクト、押韻法、比喩、ダジャレ、数値比較、競合比較、背景の投影、踏襲、合理的配慮、オマージュ、パロディ、シュールレアリスム、サンプリング、ポエトリー表現、毒舌、実体験談、などなど

ひとつ

最強で最弱の表現がある。

私はどうしても

その表現技法を、クリエイトしたい。

それは「悲哀」。

せつなさ、かなしさ、もどかしさと呼ばれるものだ。

ただ単にクヨクヨしているだけでは、表現技法ではなく、愚痴になってしまうクセのあるエレメントでもある。

「悲哀」の表現例)

・やせてやる これ食べてから やせてやる

(第8回 サラリーマン川柳より引用)

まず悲哀の強みは、共感力と普遍性が高い。

さらに、文脈やストーリー上のギャップと組み合わせたときの破壊力は最強だ。

例)一目で義理とわかるチョコ

いかがでしたでしょうか。

普段はボンボクラ名古屋人ですが、きょうは本気で記事を書いてみました。

なかなかマニアックな話でしたが、口コミにすらしたくないほど極意が詰まった話題だと思うので、どうか読んだ方は、ひっそりと胸の中にしまっておいてください。